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大人こそ遊ぼう!六花凜.com

うたをうたって死ぬまで楽しく生きようという魂胆で日々楽しくやっている旅人です。このブログのテーマは「大人こそ遊ぼう」です。正直不安ですが、大人が遊んだらとんでもないことになるんだ。

ダンサー・イン・ザ・ダークはものすごい希望の映画

 

 

ご存知この映画。たまに見たくなって夜な夜な見ています。ストーリー的には救いがなくて、どうしようもない、もう二度と見たくない映画の一つかもしれません。でも私はこの映画に希望を見出しました。

 

誰にも頼らないとどうなるのか

結論から言うと、「誰にも頼らないとどうなるのか」を教えてくれる映画だと思っています。主人公のセルマは次第に目が見えなくなってきて、日常生活でさえもどうしようもなくなっていく。だけどそれでも好意を寄せてくれる男の人に甘えるでもなく、職場の人に頼るでもなく、ただただ自分一人が必死になっているだけ。夜勤もはじめて、友人(のちにセルマに撃たれる警官)のためにまたお金を稼ごうとする。

 

自分でできることなんてちっぽけなんだ

時代とか、その頃のアメリカの事情はよくわかりませんが、今この映画を見たときに思うのは、自分でできることなんて限られているってこと。孤立して一人で生きて行くと決めた瞬間に、ライフラインが断たれるような、自然の中で巡っていた何かが途絶えるような、そんな気がしています。人は人の中で生きているのは事実だし、地球上で生きているのだから、地球の形のようにすべてにおいて(人間的にとか、人間関係とか、考え方とか)丸くなる(巡らせる、助けさせてあげる、援助させてあげる)ことが大切なんじゃないかと感じます。

 

私だったらどうするか

私がセルマだったら、良くしてくれる男性に甘えて仕事に行く時は送り迎えしてもらって、上司には「目が見えない」って言ってもっと楽な仕事もらいます。手術するために職場の人にカンパしてもらいます。借金できるならします。そして子供よりまず自分が先に手術します。その後ようやく子供のためにお金を貯めます。

 

犠牲的に生きても何も救われない

犠牲的に生きた結果、セルマは死刑になりました。それは、セルマが自分自身にしてきたことが現実になっただけに過ぎないのです。母親の絶対的な愛だか何だか知らないけれど、そんなもの全然美しくなかった。自分が死んだら、子供が本当に手術を受けられたかも何もわからないんですよ。そんなの何になるんでしょう。子供は母親の罪悪感をずっと感じ取っていました。だから学校に行かなかったりしてたんです。

あーゆう映画を見て、愛するもののために自分の全てを捧げるのが美しいと思う人はそれでいいんだけど、私はちょっと違うと思うんです。犠牲的に生きて、誰か幸せになりましたか?子供のその後だって描かれてないし、友人警官は撃たれたし、周りがめちゃくちゃになっただけじゃないでしょうか。

セルマのような生き方を、自己中心的な生き方って言うんじゃないかなと思う。だって誰も幸せにしてないから。彼女は良かれと思ってやってたんだけど。それを客観的に映画という形で見た私たちは、どう感じるのか。私の主観を書かせていただきました。

 

 

 

mail subeteumai@yahoo.co.jp

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