読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大人こそ遊ぼう!六花凜.com

うたをうたって死ぬまで楽しく生きようという魂胆で日々楽しくやっている旅人です。このブログのテーマは「大人こそ遊ぼう」です。正直不安ですが、大人が遊んだらとんでもないことになるんだ。

らも的自由とは

「何ものにもコントロールされず、自分が考え、したいことをし、意思表示できる」

 

 

f:id:subeteumai:20160219144912j:plain

 

自由という言葉をここまで的確に説明した人を他に知りません。こんな風に全人類が生きたらどうなるでしょう。ありえないことなのかな。全人類が自由に生きられる世界というのは。

 

「それがくるときまで、祈りに近い希望を持って生きなきゃダメ」

 

自分も周りも、本当の意味で自由に生きられたらいいなと思うし、そうしようとしている人たちを支持しています。例えば

 

ameblo.jp

arufa.hatenablog.jp

 

 

男はみんなバカだと思っていたけど(戦争するのはいつも男)こんな面白い人たちもいるんです。(らもさんを筆頭に)

 

男性は、どんどん格差が広がっているように感じる。ここで言う格差とは、目に見えることではなく、エネルギーやこころの状態といった格差のことです。

落ちていく人はどんどん落ちていき、流れに乗る人はどんどん先へ進んでいく。一辺倒だった昔に比べたら素晴らしいと思います。女は元々自由な生きものなので、あまり格差はないように感じます(忘れているだけです)

 

自由に生きようとしている男性はかっこいい。私は、中島らもが大好きです。らもさんを知ったきっかけは、知人に勧められたんです。「絶対好きだと思うよ中島らも。めぐちゃんならハマると思うよ。」

何を根拠にこんなことを言うのか分からなかったのですが、代表作を読んでなるほど!と思いました。

 

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 

 

当時、私もアル中のような生活をしていたのでこの小説は一気に読みました。そして、自分よりもっとひどい人がいる!と、とても慰められたのです。

その慰めは未だに続いています。自分よりひどい人をみて慰められる。道徳的にどうなんだろうかと思ったりもしますが、根底にあるものが同じなだけなのです。分かり合える、とはこういうことを言うのでしょうか。

 

自由を阻害するひとつに「比較」があります。

 

あの子はこんなにおしゃれで可愛い。わたしは・・・

あの人はまた旅行に行っている。わたしは・・・

 

この比較は、まったくの無意味であります。どうして他人と自分を比較して落ち込まなければならないのでしょうか。比較、というものは、もっと実用的なことに使うべきなのです。誰かに劣っているのは、当たり前なことなのです。ある部分では劣っていても、ある部分では勝っているかもしれませんし、勝ち負けというのも自分の主観でしかありません。

 

無駄なことで自由を阻害するでない。それよりも、自分を自由のもとへ導いていこう。

自分を自由へ導けるのは、自分だけなのだから。

そして、比較とはこういう風にするのがおすすめです。

 

f:id:subeteumai:20160219152209j:plain

(年齢を重ねると、テレビで観るものはこう変化する)